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失言報道と横並び


よくよく見てみると、4カ月ぶりのブログ更新。お久しぶり。

最近の失言報道には、どうしても横並び報道の弊害を感じる。
「他社が報じたから、うちも書くぞ!」
「なんで他社は書いてるのに、うちの新聞には載ってないんだ!」
といった具合。他社に先を越されるな、俺たちの方が良い記事書くぞ、っていう前向きな競争なら良いのだが、「横並び」に関しては大抵ネガティブだ。

記者「これ、大した話ではないんですが、A新聞が書いてるんですよ」
上司「Aが書いてるのか…。じゃあ一応書いてくれ」
記者「そうですね、一応」

記者「Cさんのところは、これ書きますか?」
記者「いや、うちはボツですね」
記者「ですよね、じゃあうちもいいや」

 こんなやりとりは、割と各社よくある話ではないでしょうか。こんな紙面で、面白い(興味深い)新聞ができるはずがない。(もちろん、他社が掘り下げたニュースを、他社が追いかけて世の中にじわじわと広がり、世の中が変わるってこともある)

松本龍さんのときも、鉢呂さんのときも、最初に報じた社以外の担当記者は、それなりに風当たりが強かったはずだ。見出しの取り方や文章の書き方で、事実を漏らさず伝えながら「失言ばかり必要以上に大きく扱わない」というのは可能。ただ、どうしても「なんで書かなかった」「なんで他社に先んじられた」という批判に脅えてしまう。それなら、書いておけば良い。それで社内からの批判は避けられる。

紙面を面白く、というモチベーションは記者個人からは感じられるのだけど、社全体としては「他社を出し抜け!」「特ダネとれ!」というところに価値が置かれている。だからこそ、そんな価値観を無視した行動には批判の目が向けられる。

不適切発現に関しては「これって失言?」「少し言葉足らずなだけ」という意見をもつ読者も、そして記者も多いように思う。大臣という立場で国民に誤解を与えるような発現をした時点で、罰されるべきという意見もあるだろう。それでも、平野復興担当相の「私の同級生みたいに逃げなかった馬鹿な奴いる」発言については、ニュースを見て驚いた人も多いのではないか。当時の口調や雰囲気が分からない以上、何とも言えないが、友人や親しかった人間の訃報に対して「あの馬鹿…」などと言って無念がることはありうる。

それでも、他社を意識すれば、失言にポイントを置かざるを得ない。取材記者の判断のみでニュース価値を判断するのが危険なケースはある。それでも、取材した記者個人がどんなに正当な主張をしても、社は「でも他社は失言を見出しにとるぞ」「Aは、Bは……」なんて他社のことばかり気にしてしまう。

報道機関は、読者を見るのと同じくらいの力で「他社」を気にしている。他社はどう書いているか、他社に抜かれていないか。もちろん競合他社から学ぶことは多いのだけれど。「横並び」ばかり、後追いばかり、テレビつければ新聞めくれば同じ特集ばかりなんて日もある。

もしかして、記者には「書かない努力」みたいなものも時には必要なのではないか、と思っている。もちろん、何かを書かない分、ほかのことを「書く」という意味での「書かない努力」だ。

「特ダネ競争」「横並び」によって掘り起こされる価値があることも分かります。それでも、今回はあえて批判的に書きました。何となく感じる違和感と、業界内にいるとどうしても業界の慣習みたいなものに対して、何かと理由をつけて肯定的になってしまいがちだから。自虐的でも、何でも、批判的な目を持たないと、自浄はできないと思うので。

※最後に付け加えておきたい。「失言をあげつらうな」というのはそのとおり。でも、新聞労連の議事録などを見ていると、被災地の報道機関からすれば「死の町」という表現はやはりあり得ないという意見のようだ。「見たままを言っただけ」「当然持ちうる印象」という意見は多いが、そういう強い主張もあることを認識しておきたい。
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