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『沖縄を変えた男』

先週末、沖縄に行った際に映画を見た。

『沖縄を変えた男』



主演は吉本興業のお笑い芸人ゴリさん。題材は1990、91年に甲子園で2年連続準優勝した沖縄水産高校野球部で監督を務めた栽弘義監督だ。

映画はなんと沖縄県内でしか上映していないようで、私も沖縄に来るまで全く知らなかった。

原作は松永多佳倫さんの『沖縄を変えた男 栽弘義―高校野球に捧げた生涯』である。この本は読んだことがあった。



映画は大半が栽監督による暴力シーン笑。今で言えば高野連から即刻謹慎処分が出るか、教育委員会によって教員免許を奪われるようなレベルだ。ただ、本を読んで事前知識があったため、なかなか楽しめた。高校野球ファンならそれなりに楽しめるし、沖縄に思い入れのある人には是非見てほしい。

栽監督は、監督として通算17回甲子園に出場(+1回は部長登録←選手登録できない年齢の部員を監督として登録させたため)。豊見城高校で春夏6回。沖縄水産高校では11回。部長登録も入れて29勝18敗。名将である。07年に65歳の若さで亡くなった。

彼が育てた選手の中には赤嶺賢勇(1974~76の豊見城のエース。巨人へ)、比嘉良智(沖縄県出身で初のドラフト1位指名でロッテへ)、上原晃(中日でストッパーとして活躍)、大野倫(準優勝時のエース。打者として巨人へ)、新垣渚(ソフトバンク、ヤクルトで活躍も今年10月に戦力外通告)……。他にも何人か著名な選手がいる。

新垣は最近の選手なので多少の違いはあるが、栽監督の方針はエースに投げさせ続けること。なので、赤嶺も比嘉も、大野も肩や肘を壊してプロでは打者として指名を受けたり、投手としては花が咲かなかった。

「栽監督が最後まで投げさせてくれたことは本当に感謝しています。逆に降ろされていたら、肘が壊れた上に中途半端になってしまい、それこそ遺恨が残ってしまったかもしれません」

大野倫さんの言葉だ。高校野球はプロでの活躍に代え難いほどの魅力があり、華の舞台。「将来ある若者に無理をさせるな」との声もあるし、正論なのだが、やはり潰れてでも甲子園で輝きたいという思いも分かる。上の言葉は漫画スラムダンクの桜木花道に似た心境だろう。

栽監督の指導方法には賛否両論があるだろうし、現代に同じ指導がされていたら我々マスコミは記事で批判することになる。実際、私は体罰は反対だし、そんなことをしなくてもやり方次第でチームは強くなると思う。体罰やいじめで死者が出ている現実を受け止めれば、今の時代には決して許してはいけない指導法だ。

ただ、栽監督の中には若者を育てるという以上に、沖縄に染みついた精神の矯正というようなものがあった。あの時代の指導としては仕方がなかったと思うし、「仕方がない」というのは失礼なほど、結果を伴い、一時代をつくった現実がある。

沖縄に巣食う「本土には敵わない」「道具がないけど、他の(県内の)学校も同じだからしょうがない」などなど。

負け犬根性を振り払うために、県民が熱狂する甲子園で優勝を―。沖縄を変えようと必死でもがいた結果が、あの体罰と、準優勝という結果だった。

ここまで極端なのも珍しいが、全国水準で言えば背が低く、離島なので練習相手にも恵まれない戦後の沖縄で、とにかく練習練習練習で常勝軍団を作り上げた腕力は凄まじいの一言に尽きる。

今の沖縄高校野球の基礎を築いたのは間違いなくこの人と言えるだろう。教え子が沖縄尚学で監督をしたり、今年夏の甲子園に出場した嘉手納の大蔵監督も、栽監督の元でコーチとして学んだ人の1人だ。

栽監督の代表的な言葉として「沖縄に優勝旗が来ないうちは、沖縄の戦後は終わらない」というものがある。

ただ、どうもこの言葉は本人の本意ではないらしい。どこかで一人歩きしたのだろう。本の中でも「戦争と野球を結びつけたら、野球にも沖縄にも失礼だ」との栽監督の言葉が紹介されている。

栽監督自身、沖縄戦時に手榴弾の火の粉で背中を大やけどする被害を負ってる。3人の姉を失い、きょうだいで生き残ったのは栽監督だけ。背景にあるエピソードからもメディアに注目されやすい人だったと言える。

この後、エース島袋洋奨(ソフトバンク)を擁する興南が2010年に春夏連覇を成し遂げた。沖縄に深紅の優勝旗を初めてもたらしたのは、奇しくも栽監督の豊見城や沖水と沖縄大会でしのぎを削ってきたライバルの興南。歴史を感じざるをえない。


本の中で、印象に残った言葉がある。

「今からの高校野球は〝貧しさ〟を教えろ。〝豊かさ〟は俺が作ったから、あとは〝貧しさ〟だ」

人は楽に手に入れたものを大事にはできない。たまたま持ち前の才能と運と環境で甲子園に行けたとしても、プロでは通用しない。社会でも同じ。苦労や後悔は必ず生きる。

選手として花が開かなかった自身の経験、戦後の苦渋が監督としての栽弘義の花を開かせたのだと思う。

それでも、甲子園〝優勝〟に届かない。それもまた人生の妙だ。

果たして栽監督は、本当に沖縄を変えられたのか。

映画を見て、改めて考えにふけった。

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