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ジャーナリズムと国益

『ジャーナリズムは甦るか』という本を読んだ。



メインは池上彰氏と大石裕慶応大教授の対論、その後に4人の教授陣が対談するという構成。

慶応は池上彰メインで本を作ろうとしたが、ページ数が足りないので対談を足したという感じでしょうか。

一つ心に残った内容がありました。

それはジャーナリズムと国益というテーマ。

池上氏は「メディア自身が『国益とは何か』と意識することそれ自体、いかがなものか」と語っていました。

そのときのメディアの判断で「国益に資する」と判断しても、未来からみればそれが正しい判断とは言い切れないこともあるわけです。

「国益とは何か」というのは常に移り変わるもので、安易に一つの報道が「国益を失わせた」などというのは危険だ、という考え方からです。極端に言えば、第2次世界大戦がわかりやすい例でしょう。


なにやら報道に対して、保守的な考えの人から「国益を何と心得る」というような批判を目にすることが多い。国益なんて曖昧なものを持ち出して誰かを批判する人は、大抵自分の考えを「国益」なるものに当てはめているだけなのだが、逆に言えばそんな曖昧なものをメディアが「守ろう」などと言い出したら世の中メディアのやりたい放題になります。

メディアが考えるべきは「国益」ではなく、国民益なるものでしょう。国益と国民益の違いは大きいです。わかりやすく言えば、国民に知らされない暗部の出来事、密約などを「未来の日本のために」と握りつぶすのが国益。それを政府の体面を後回しにしても国民に提示する可能性を認めるのが国民益でしょう。

抽象的な言葉で国民の生活を語るのはかなり危険です。これは「安全保障のため」「経済のため」という漠然とした言葉で米軍基地や原発の存在を容認させようという圧力と似ているのではないでしょうか。


いつの間にか年が明けていました。

つけたままのテレビで、朝生が垂れ流されている。

竹田恒泰さんがボロクソに攻められ、いい感じに激論しています。ああうるさい。


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