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ホームレスと涙

書くことがないので、大学のころに書いた作文を晒そうと思う。

保存の意味もこめて。昔の思いを振り返るのは、悪いことではないと思う。

これは、ゼミで「涙」という課題に沿って書いた作文です。



「この子らを世の光に」。この言葉を残し、糸賀一雄は人生の幕を閉じた。輝く素材である子どもたち。彼らをより輝かせ、我々が生きる世の光とする。その信念を胸に、障害児教育、福祉に心血を注いだ。糸賀は、輝きを打ち消しうる「社会」に対して、警鐘を唱えたのだ。彼が他界してからから41年が経つ。現代は、弱者が輝ける社会になっているだろうか。
 
日曜日の新宿中央公園。駅周辺の煌びやかなネオン街に反し、人気も無く、薄暗い。ここに、毎週400を超えるホームレスが集まる。炊き出しを求める長蛇の列。公園をはみ出すその集団は、異様な空気を放っている。大半は、腰が曲がり、顔にしわを作った高齢者。30前後の若者も混じっている。そこで見えるもの。それは、働かず、薄汚れた格好でボランティアにすがる人々だ。時には日雇い労働で小遣いを稼ぐ。一杯の缶ビールは自分へのご褒美。しかし、働く姿を多くの人は知らない。結果、彼らは単なる怠け者の酔っ払いと化す。救う価値の無い、ゴミ以下の存在。眼で見るだけでは、見えないものがある。涙は必ずしも、流れない。

そこで直面する葛藤。彼らは本当に苦しんでいるのだろうか。働きすぎで死人がでる昨今。仕事と家庭を放棄し、路上で「優しさ」にすがる彼らは同情に値するのか。苦しんでいるか、苦しんでいないか。同情に値するか、しないか。状況は人それぞれだ。しかし、社会として、彼らが輝く場所はない。

彼らは赤子のように、泣きながら喚くことはない。むしろ、社会の構造に諦念し、口を閉ざす。世間はホームレスがいる日常に慣れ、ホームレスは放置される日々に慣れる。お互いの無関心が生成される。生存権は当然のように犯されていく。

炊き出しを手伝うボランティアの多くは、現役の社会人だ。しかし、現役のホームレスの多くも手伝いに来る。彼らは、自分の活躍の場を探している。「働かざるもの、食うべからずだよ」。そう話すホームレスの強さに、自分の小ささを知る。「この子らを世の光に」。彼らが流す涙に、世界が気付く日は来ないかもしれない。ならば、彼らが磨いたまぶしい光に対しては、どうだろうか。
 
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